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 インタビュー


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キレイな音にも“芯”がなければ
―― アルト・サックスを吹きはじめて何年になりますか。
五十嵐 22歳位の時だから、かれこれ30年近くになりますね。

―― キッカケは、レコードですか。
五十嵐 僕の場合は、昔からジャズが好きでどうしても演りたいというのではなかったんです。戦後、僕等の世代ってみんなちょっとしたことから楽器を演りだした人が多いみたいですね。

 直接のキッカケは、兄貴(武要)(ds)が戦前、アコーディオンを習っていて、その先生が終戦後バンドを作った。兄貴がそこのバンド・ボーイで働いていた関係上僕が夏休みにアルバイトで行ったら、それがジャズ・バンドだったんです。バイオリンやアコーディオンも入った、ちょっと変わった編成のバンドでしたけれども。聴いているうちに面白いなあって、それから興味を持ったんですね。

 考えてみると、戦前、小学生の頃、家には「セントルイス・ブルース」とか古いアメリカの曲「フー」なんかがあって、兄貴と好きでよく聴いてましたね。

 そこで僕も楽器を演りたいというとミュージシャンが僕の身体を見たりして、小さいし、手も細いからクラリネット演ったらいいんじゃあないのって。それから一生懸命お金ためて、当時3千円でオールドスタイルのクラリネット(アルバート)を買って、そのバンドの手ほどきを受けたんです。

 それからは家で猛練習して、何曲かレパートリーが増えると、おまえ、ちょっと演ってみろなんて言われて、1、2曲吹かせて貰うのが楽しみでしたね。

―― 最初はクラリネットだったんですね。
五十嵐 ええ。その頃は東京駅にミュージシャンが集まって、進駐軍のクラブへトラックに乗せられてあっちこっちに行かされたんですけど、ある日、今、急にクラリネットがいなくなっちゃったけど、店に人数が足らないと怒られるから誰かいないか、と探しにきた人がいるんです。

 すると僕のところのバンド・マスターが「うちのボーヤがクラリネット持ってるし、吹けないけど立っている分にはいいから貸してやろう」って(笑)。その探しにきた人が、植木等なんですよ。

 そこで歌舞伎座の近くにあったクラブ「エデン」に連れて行かれて吹かされたんです。その喧嘩して辞めちゃったクラリネット奏者はジョージ川口さんのお父さん、養之助(sax)氏だったんです。

 それでね。吹けるものだけ吹いて、ま、吹けないものは適当に演って、替りがみつかるまで明日も来てくれってことで演ってたら2、3日して、植木さんが「君どうだい、このバンドにいる気あるかい」「もちろんお願いしたい」「じゃあ入りなさい」ってことで正式にメンバーとして1年近くクラリネット吹いていましたね。

 そうしたら、ある時、僕の親しくしているもっと斬新ないいグループのリーダーが遊びにきて「君、アルト・サックスを買ったらうちのバンドに入れてやるよ」と一言ペロッと言ったんですよ。その人は松下彰孝さんという、今も演っている人ですけど、松下さんのもとでは有名な人がずいぶん育っているんです。

 そこで、すぐにクラリネットを売って、サキソフォンを買い、こちらから入れて下さいと押しかけたんです。これがアルト・サックスのはじめです。

 このバンドは渋谷の道玄坂上にあったフォーリナス・クラブ(外国人専用クラブ)でずっと演っていたんですけど、その当時のメンバーは沢田駿吾のギター、テナーが花村謙一郎で、この人に僕はサキソフォンを習ったんです。

 後でわかったんですけど、渡辺貞夫がよくここの裏で僕達の演奏を聴いていたらしいんですね。

 当時、そのクラブではジャム・セッションが盛んで、厚母雄二郎(ts)、松本英彦(ts)、海老原啓一郎(as)、田辺昭(cl)といった有名な人達が参加して演ってましたけど、そういうところで僕も一緒に演れたことは非常に勉強になりましたね。

―― その頃は勉強するレコードがありましたか。
五十嵐 ジョニー・ホッジスとかウィリー・スミスのSPがいっぱい入ってきていましたし、その後チャーリー・パーカーが出てきて、ビ・バップをゴリゴリ演りだしたのを聴きましたね。

 当時はスイングといわずジャズですよ。専門的にいうとコード進行がいままでより細かい。パーカーなんかも今聴くとリズムのせいもあるだろうけれどかなりスイングっぽい。あの頃は皆、パーカー一辺倒でね。僕は彼を勉強の素材にはしていたけど、あまり好きではなかった。当時そんなことを言うものなら、村八分にされちゃうから言わなかったけどね(笑)。もちろん尊敬はしてますよ。とにかく本質的にあまり好きでなかった。結局その表われが今日の僕なんだろうけど・・・。

―― では一番好きなのはホッジスとかウィリー・スミスその辺ですか。
五十嵐 最初にしびれたのがね。アルトの音色がいかにもアメリカ的でね。ホッジスの甘い感じがいい。

 あの頃の僕は、とりあえずいいと思うことはみんな演ってみましたね。パーカーも指向したし、のちにこのバンドを辞めて、若手で何か演ろうとしたのが「ウェスト・ライナーズ」形でいうとウェスト・コースト系、というとリー・コニッツ、ポール・デスモンドもそうだし、アート・ペッパーも傾倒して演りました。

―― リー・コニッツなんかどうでしたか。
五十嵐 あまりにも今迄と形が違うのでびっくりしました。非常に理詰で感じからいくとクールなんですよ。ジョニー・ホッジスは温かいホットな感じがしてまろやかで泣くアルトでしょ。それと違った形でリー・コニッツも泣かすんですけど冷い感じがする。

―― 日本人は白人系に引かれたんですね。
五十嵐 というより時代、環境がそうだったんですね。レコードがいろいろ入ってくるようになってから、誰彼といわず新しいものをパァッと掴んで人より先に演ることが、その当時の流行だったんです。ということは日本全体が勉強時代だったんですよ。

 僕もそういう面では浮気だったから、アメリカのものはみな良く見えちゃう。一つの魅力を感じると、演ってみようかと一生懸命努力してその音を出すようにする。そうすると回りが似ている似ているなんていうと僕もいい気になって演ってね。批評家もあの人は○○風でいいとかいうもんだから・・・非常にオリジナリティーがないといえばないんですけど、でもその時代はその時代で楽しかったですよ。

―― ビッグ・バンドとコンボでは気持ちの違いってありますか。
五十嵐 あまり気持ちの違いはないです。オーケストラは常に譜面をみて忠実にうたって演る。コンボだと自身の創造というか、創って演らなければいけない。そういう面での対処の仕方は多少違ってきますが・・・。

―― どちらがお好きですか。
五十嵐 僕は両方好きですね。暫く自分がスモール編成で演っていたとしたらまたオーケストラも演ってみたくなる。同じことを演っていたらいずれマンネリになってしまう。

 先ほども話したように、スタートはコンボでそれからオーケストラに長く在団したんですけど、シャープス&フラッツにリードで入った時、まあオーケストラもどうってことないと思い甘い気持ちだったんだけど、とんでもない。回りの人達がいかにしっかり吹いているか知らされましたね。譜面も僕は専門的な学校に行ったわけでもないので困りましたね。それで暫くしていやになって、まあ、我儘だったし、それで原さんが前にいたリードの前川元さんを呼び戻して僕がサイドにまわったわけですよ。それで何年か演ったんですけど、この時が僕の土台創りだったと前川さんに感謝しています。

 それで次にあらためて自分を創り上げたのがブルー・コーツに入ってからです。多分、シャープス&フラッツで基礎的なことを演らなかったらブルー・コーツのリードは務まらなかったでしょう。

―― 普通はコンボよりビッグ・バンドの方が簡単ではないかと思いますが。
五十嵐 ビッグ・バンドは譜面のことばかりじゃあないんだけど、とりあえず譜面が読めて堪能ならばなんとか務まりますね。

 コンボでしかもカルテットで一人で演る場合は、リーダーシップをとった上にメロディーからアドリブまで全部演るしかない。昔は、アドリブを演じることはかなり難しい部門だったんですよ。現在でも勿論そうですけど、今の若い人ってアドリブが先に出てくる。ということは演奏方法が進歩したことでしょう。

 僕なんか初めの頃は、ブルースが12小節なんてこともよく知らなかったし、キーがこんな感じで、ブルースがこんな感じに流れるというのを耳で憶えて吹かされるわけですよ。小節になると隣の人が洋服を引っぱっておまえは終わりだよって教えてくれてね(笑)。当時は周囲も解んない人ばっかりでしたね。

―― 演奏方法は秋吉敏子さんや渡辺貞夫さんがバークレーから帰って本格的に変わったのですか。
五十嵐 ええ、その前からジャズに対する考え方が変わってきていましたけど、20年位前からですね。ですから非常に新しいわけですよ。

―― ’61年、アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズの初来日以降、外国のミュージシャンが大挙してやってきましたね。
五十嵐 ミュージシャン同士の交流もすごく影響していますね。いまだに印象的なのは’52年のジーン・クルーパ・トリオ、世紀のスターが日本へやってきて演奏することじたい夢のようでしたね。チャーリー・ベンチュラを小さなクラブで目の前で聴いたのですがあの感激ってなかったですね。その後がJATPでベニー・カーターとウィリー・スミスを聴いたんです。

 今の若い人達はバークレー音楽院へ行くのも隣近所へ行くみたいにパァッと行ってしまうけど時代が違ったんですよ。

―― アルト・サックスは楽器の中でもいちばん難しいと思いますが。
五十嵐 アルトだけが難しいということはないでしょう。楽器は全部一緒だと思いますよ。とにかく音に関してはやり始めたら終わりがないということだけははっきりしている。

―― アルトはジャズの中でもメイン、花形楽器ですよね。
五十嵐 というよりはね、それぞれオーケストラのカラーを創るのはサキソフォンなんですよ。だからベイシーにしてもエリントン、ビリー・メイ、ビリー・ボーンとか沢山ありますけど、どこに特徴があるかというと歌の部分を受け持っているサキソフォン・セクションですね。

 こういうことを言うとブラスの人に怒られちゃうけど、例えば、ラッパなどはメロディーとかそういうことより間の手をうっている個所が多い。ブラスはいろいろなニュアンス、イーとかウーというのができない。サキソフォンは可能ですから、しかも、そのサキソフォン・セクションで自分がリードして吹くことはいちばんの醍醐味ですね。

―― 先程もパーカーなどアルト奏者がでてきましたがオーネット・コールマンなど如何でしょうか。
五十嵐 確かに最初は驚きましたね。決してメチャメチャ演っているとは思いませんけど飽きちゃう。狙っているサウンドというか音が暗いですよ。スリリングといえばスリリングですけど、たえずせっぱ詰ったような感じで安らぎがない。音楽にはいろいろあるけれど、僕は音楽は美しくてロマンチックでなくてはと思うし、そういうのが好きだね。

―― 楽器を演っていらっしゃる方からみると前衛はやさしいですか。
五十嵐 ある意味じゃあかもね。というのはワン・コード与えられて、そのままフリーで演ってごらんと言われたら、例えば小節も関係なく適当に自分の思ったままを吹くのは、少し楽器を演った人には非常にとびつき易い部分ですね。その逆に、譜面通りに吹けとかこのコード進行でちょっと演ってみろと言われると難しい。その上、メロディーを大事にしろと言われるとまた考えてしまう。

―― モダンの方ではジャッキー・マクリーンとかフィル・ウッズなどその辺に関してはどうですか。
五十嵐 僕はマクリーンってあまり好きではないんです。

―― 日本では彼の音程がはずれているところがいいと・・・・・・。
五十嵐 音程が悪いというのかね。でも『レフト・アローン』はあのわびしさとあの音程で聴けるわけですね。

 だから音楽ってのは音色だ音程だと言うけど、別に音程がはずれていたってかまわない。ただしっかりしている方がいいけれども。

 昔、デキシーのクラリネットの音だって、どちらかというと頼りない音がしましたね。でもあれはあれで良さがある。

 ポール・デスモンドがキレイな音で日本の演歌を吹いたら、それはそれでいいし、歌う演歌を吹く人もいい。演歌にどちらがあっているかというとヨレヨレで演ってた方が日本人にはしっくりいくのではないか。あまりにもキレイに吹いてしまうとつまらないんじゃないか。やっぱりどこかのおじさんが酔っ払いながら少し音程がはずれても気分だけだしてコブシ使ってパァーなんて演っている方が演歌にあっているでしょ。音楽ってそういうものだと思いますよ。あとは個人差でね。

―― アート・ペッパーはどうですか。
五十嵐 彼は好きですよ。非常にスピードがあるし、イマジネーションに富んでいる。しかもでてくるものが面白いですね。なんていうんだろう、聴いているとイントネーション、音色も独特なものがありますね。

 ポール・デスモンドは僕が聴くとすごくウォームな人って感じがしますね。しかもソフィスティケーテッドとかそういう感じがするでしょ。

―― 最近のアルトで好きな人はいますか。
五十嵐 ボブ・ウィルバーが好きですね。彼は最近でもないなあ。長いことアメリカで演ってますね。

―― クルセイダースのバックなんかも演ってますし、コンコード・レーベルから発売されていますね。シドニー・ベシェの影響を受けていると思いますけど。
五十嵐 彼は音色はキレイだし、かなりオーソドックスな人ですね。

―― 音色っていうとエリック・ドルフィーなんか変わった音色してますけど。
五十嵐 音色にもいろいろあって、甘い美しい音で淘汰されている人と、ハードでも根本的にサキソフォンが鳴っている人とありますね。上手い人はあの吹き方は本物だという部分を必ず持っていますね。ただマヤカシで吹いている人のは今になってみるとなんとなく身体が受けつけなくなっちゃったんですよね。

 最近ではリッチー・コールなんてだめですね。気持ちよくないですよ。なんかズーンとくるものがない。ペラペラって感じで、日本人によくある形っていうのか・・・。

―― フュージョン・バンドで聴くサックスの音って、ひと頃よりペラペラになったみたいですね。
五十嵐 ああやって体力がものをいうような吹き方をしていたら、当然マウスピースやリードとかいったものもある程度制約がでてしまう。

―― サックスの場合、日本と外国のミュージシャンを較べてどうですか。
五十嵐 サキソフォンに対してもっと根本的に演らないといけないと思いますね。外国と較べて、最低10年といいたいけど大甘にみて5年の開きがあるでしょうね。

 音の根本的なパワーとか質力とか、専門的になってしまうけど、音がでるその音に芯があるかどうか、キレイな音かとか、そしてまた輪郭があるか、そういったことで日本をみてみた場合、そういうアルトが果たして5本もいるかどうかと思いますよ。

―― 5年といいますとこれからどうやっていけばよいのでしょうか。
五十嵐 それは、みんなが狙いを変えればいいんですよ。そういうことにまだ気がついていない人が多いんです。

―― 白紙にかえってアルトの基礎をということですか。
五十嵐 そういうことだと思いますよ。

―― 最後になりましたけど初レコーディング、及びリーダー作は。
五十嵐 『幻のモカンボ・セッションVol.2〜4』(ロックウェル〜ポリドール)のLPがあとから発売されたけどキングのジャズ・シリーズだと思いますよ。リーダー・アルバムはまだないんです。新しいのでは『フル・スイング/杉原淳とカンサス・シティ・バンド』(エキスプレス)がでています。

―― ビッグ・バンドに長くいらっしゃいましたからね。
五十嵐 オーケストラを辞めて3年ちょっとしか経っていないし、自分ではまだまだこれからだと思いますしね。

―― 期待しています。

おわり (1982)



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