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ワン・アンド・オンリー 五十嵐明要          久保田二郎
スイング王「ベニー・グッドマン」が初来日したときのことだ。機会を得て僕は深夜六本木の小さなバーで彼と数時間話をすることができた。グッドマンの全盛時代、つまり1936年から40年にかけてのレコードは全て持っていた僕は、彼にオーケストラ作りの秘密を聞いてみようと思ったのだった。

当時、ベニーのオーケストラのリード・アルトはハイミー・シュルツァーといういぶし銀のごとき名奏者がいたのだが、やはり一方の雄であったトミー・ドーシー楽団に彼は引き抜かれたことがあった。それはごく短い期間だったが、ベニーはすぐさまこのハイミーを引き戻したのである。つまりカムバックさせたわけだ。そんなこんなでベニーとトミーの仲は気まずくなったと伝えられている。

そこまでして一人のアルト奏者の引き抜き合戦をしたわけなのだが、このハイミーの不在中、ベニーはもう一人の名リード奏者であるトーツ・モンデロを在団させている。当時の人気投票ではこのモンデロの方が上にいる人気者だったのである。しかし、この期間のグッドマン楽団のサックス・セクションは魅力がない。たしかに細かいアンサンブルにゆきとどいた気配があるが、なにかもう一つ、個性が出てこないのである。

ベニーにこの点について聞いてみた。

「あなたはトーツ・モンデロをリードにしたこともあるが、ハイミー・シュルツァーの方がはるかにセクションとしてはスタイルが出てましたね」

グッドマンはわが意を得たりといった顔をして答えた。

「ハイミーはね、彼はロマンチック・リード・アルトなんだよ、ね、わかるでしょう」

なるほど、これはなんとうまい表現なんだろう。ロマンチック・リード・アルトね。たしかに、当時のグッドマン楽団のブラス・セクションはハリー・ジェームス、ジギー・エルマン、アーウィン・グッドマンといったユダヤ系の三名で構成されていた。そして深い音色とパワーフルなアンサンブルはまさにグッドマン楽団の華であったのだ。それに対してのサックス・セクションは豊かなうねるようなロマンチックな個性でこの鋭いブラス群に見事な対比を見せていたのである。なるほど、ベニー・グッドマンが自分の楽団のリード・アルトにいかに名手ハイミーにこだわったかという謎が解けたのだった。

さて、日本でこのハイミー・シュルツァーを探すとしたらそれはいったい誰だろう。間違いなくこの五十嵐明要の名をあげなくてはなるまい。

彼はアンサンブルにおいて、リードアルト奏者としてばかりでなくソロ・プレイヤーとして実に卓越した個性を発揮する実に貴重なプレイヤーである。僕はベニー・グッドマンを例に出したが、もっと分かりやすい例を言おう。それはあのデューク・エリントン楽団だ。史上最強のサックス・セクションといわれたあのサックス群のリード奏者であり、たぐいまれなるソロ・プレイヤーであった名手「ジョニー・ホッジス」を思い出してもらいたい。彼に比肩する奏者をわが国で考えれば、それはこの五十嵐明要をおいて他にいないだろう。

五十嵐明要、通称トシちゃん。彼は昭和7年6月2日、東京は中央区(旧京橋区)の西八丁堀で生まれた。家業は聞楽亭という講釈場だった。講釈場というのは、落語を主とする寄席に対して主に講談をその専門にする講談の寄席のことである。

明要はほんの子供の頃から数多くの昭和の名人たちを目の前にして育ってきた。六代目貞山、神田ろ山、神田山陽、小金井芦洲、大島伯鶴、神田伯山などなど・・・。東京のど真ん中、下町の江戸の昔から与力・同心たちで有名な八丁堀で生まれて講釈場で育つ、というまことに生粋の江戸っ子の条件に恵まれたわけだ。

まことに彼ぐらい江戸っ子の気質を兼ね備えているものも珍しいだろう。楽天的、ものにこだわらない性格、下町育ちの温かくて世話好き。気っぷのよさと同居するそのおおらかで、しかもおだやかな気風こそ彼が彼に接するすべての人を魅了し好かれる人柄のもとになっているのである。

この彼の性格に忘れることのできないのは、そのセンス・オブ・ユーモアの精神だろう。お江戸下町っ子伝統の駄じゃれ、地口、軽口を生み出す彼の才能は広くミュージシャン仲間で認めるところだ。まさに彼こそ残り少なくなりつつある真正江戸の下町っ子のよさを十二分に体現している貴重なキャラクターということができるだろう。

彼のこのような生まれ育ちのバックグラウンドは彼のプレイを聴けばよく理解することができるのだ。彼は高校2年のとき初めてクラリネットを手にし、後にアルト・サックスに転向する。20歳のとき銀座でプロとしてデビュー、最初はダンス・バンドのオーケストラだった。その後、松下彰孝のグループに引き抜かれる。

これがコンボに参加した最初だった。この頃すでにその名を知られるようになり、やがて沢田駿吾のグループが独立するのを機に参加するようになり、ここで名声を得るようになり人気投票のアルトの部に上位に常に名を連ねるようになる。

やがて、原信夫とシャープス・アンド・フラッツに入団、10年間その全盛時代を築くことになる。後に同じくわが国を代表するフル・オーケストラ、ブルーコーツに参加、ここにも10年間在団することになる。彼は最初から日本ジャズ界のエリート・コースを歩んできたラッキー・ボーイということもできるだろう。現在はホテル・ニューオータニのジョイフル・オーケストラに属すると共に、自己のコンボ「聞楽亭」を主宰する。

その日本一豊かで美しいアルト・サックスの音色は、彼の意外に鋭い感性の輝きと十二分にくつろいだ人格の表われを感じるだろう。アップ・テンポにおけるそのリズム感と乗りのよさ、スロー・バラードにおける豊麗な音色とたゆまざるメロディー・ラインの美しさは、彼のキャラクターそのものというべきだ。

数多いアルト奏者のなかで、まこと五十嵐明要こそ「ワン・アンド・オンリー」、たった一人だけの存在といい切ることのできる素晴らしい音楽家なのである。

(1989)