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 レビュー


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若き日の憧れの人           渡辺貞夫
高校(宇都宮工業高校)をギリギリの線で卒業してから、2週間ほどで東京に飛び出す。運よく麻布の小さなクラブに仕事先をみつけしばらくそこにいたが、その頃の楽しみは仕事を終えてから渋谷にあった進駐軍専用のクラブ「フォーリナス」に通うことであった。

そこでは毎夜ジャム・セッションが開かれており、以前ラジオで聞いたことのある五十嵐明要さん(as)とか清水閏さん(d)など、憧れの大スターが多数出演していた。名もない私など場内に入れず、冬の寒い夜空の下でガタガタ震えながら楽屋からもれてくる演奏に全神経を集中して聞き入った。

それからが大変、部屋に帰るなりサックスの中にタオルを入れて大きな音が出ないようにしてから、今聞いてきた曲やフレーズを興奮と感動とともに猿まね風に試みてみるのだが、自分の音とはあまりにも違っていた。どうしてなんだろう、なぜなんだろうとあれこれやっているうちに夜が明けてしまうのがいつもの日課だった。

あるとき、窓の外ではどうにもいたたまれなくなって守衛の目を盗んでこっそりと侵入、われに返ったときにはステージの脇でクラリネットをつなぎ合わせていた。そこで始まったのが「オー・レディ・ビー・グッド」だった。いつの間にやら飛び込んだ得体の知れぬ私にもソロ・パートをまわしてくれたのが運のつき、夢中で数コーラスを吹き終わっていた。

徳さん(徳山陽(p))から、「変ったアドリブをするねェー」と肩をたたかれたことをいまだに忘れない。その頃、アドリブとはシンコペイトするものなりと考えていたからである。

しばらくして横浜でR&B(リズム・アンド・ブルース)専門のコンボを結成、「ハーレム」でアール・ボスティックそっくりに「フラミンゴ」その他を毎晩大ブロー。毎日曜日には昼間から日米のジャム・セッションが開かれ、バッド・ニューマン(ts)、ハル・スタイン(ts)などに混じって安守祥太郎、秋吉敏子、松本英彦さんらが負けじと競い合っていた。

安守さんはよくパーカーをコピーしてはこっそり私に渡してくれたし、秋吉さんからは「ムーズ・ザ・ムーチ」のコピー譜をステージの上で渡されたときなど、「プロだったらこれぐらい初見で吹けなくて、どうしてアドリブができるか」とひどく叱られくやしかった。

(スイング・ジャーナル 1967年5月号から抜粋)