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ヴァンガードVANGUARD JAZZ SHOWCASE

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ヴァンガード・ジャズ・ショウケース論 大和 明

ヴァンガードのジャズ・ショウケースはいわば中間派ジャズの宝庫といえる。それらの中でも中間派ジャズの代名詞とでもいうべきアルバムがヴィック・ディケンソン・セプテットによる演奏だ。これは1953年12月29日とその約1年後の1954年11月29日の二度に亘って録音されたセッションで、それぞれ10インチ盤LP2枚ずつの計4枚のLPにまとめられて発売され、そのいずれもが絶賛を浴びた。のちにそれぞれのセッション毎に12インチLPにまとめられた。

そもそも中間派ジャズという用語は大橋巨泉氏の提唱によって定着したわが国において使われたジャズ用語で、欧米ではこれをメインストリーム・ジャズ(主流派ジャズ)と呼んでいるが、この用語では意味するところが曖昧で、造語としては中間派という用語の方が優れているように思う。

Vick Dickenson Septetそれでは中間派ジャズとはどういうようなジャズかというと、40年代前半のスウィング末期から50〜60年代のモダン・ジャズ時代に至る過渡期に、黒人スウィング・ジャズメンを主体として行われたジャム・セッション形式によるコンボ演奏を指している。これは初期ジャズの三本柱である黒人たちによるニューオリンズ・ジャズ、ハーレム・ジャズ、カンサス・シティ・ジャズと、バップが発展しモダン・ジャズの主流となっていったハード・バップの中間にあって、両者をつなぐ重要な架け橋となったジャズという意味を強調してつけられた用語なのである。

この初期ジャズとモダン・ジャズとの間にはスウィング・ジャズという用語がすでに定着しているではないかと反論されそうだが、ともするとスウィング・ジャズという用語は白人ビッグ・バンドからダンス・バンド的なものまで含めた広範囲な使い方がされているので、初期ジャズからモダン・ジャズに移行する過程で重要な役割を果たしたのは、あくまでもジャズ本来の真髄を伝えてきた黒人ジャズメンによるインプロヴィゼーションを主体としたスウィング・コンボ・セッションということを強調する意味が込められていたのであった。

こういった形式による中間派ジャズは、1940年代前半に雨後のたけのこのように出現した多くのマイナー・レーベル(キーノートやシグネチャーなど)や、それ以前からあるマイナー・レーベル(コモドアやブルーノートなど)によってスウィング末期の40年代半ばに次々と録音されていった。いわばこれが中間派ジャズの第一期黄金時代といってよいだろう。この時期は白人ビッグ・バンド・スウィングの衰退期であり、またビ・バップがジャズの新興勢力として台頭しつつあり、一方ではその反動的現象として創生期のジャズを見直そうというニューオリンズ・リバイバルが起きつつあった。

そういった状況の中でベテランの黒人ジャズメンの多くはビバップに馴染むこともできず、といって古い創生期のジャズに後退する気にもなれず、ここにスウィング全盛期にビッグ・バンド演奏における制約によってアドリブの腕前を思う存分発揮できなかった彼らは、オール・アメリカン・リズム・セクションとまでいわれたカウント・ベイシー楽団のリズムを模範とし、その上にくつろいだ自由なアドリブを繰り広げていったのである。それゆえ原則として編曲はなく、その場の簡単な打合せでまとめるヘッド・アレンジによってジャム・セッションを展開したのである。

ところで50年代に入り、世の中はモダン・ジャズ一辺倒の時代になったとき、再びこの種のジャズ・ブームが起こり、中間派ジャズの第二期黄金時代を迎えることになる。それはLP時代の到来によって、高音質による長時間録音が可能になったことがきっかけとなっていた。ここにジャズ界の名タレント・スカウトであり、またジャズ評論やレコーディング・プロデューサーとしての手腕を振るっていたジョン・ハモンド氏がヴァンガード・レコードで次々と中間派ジャズの制作に乗り出したのである。当時、同レーベルは最良のハイファイ録音を誇っており、そのスタジオに中間派ジャズメンを集め、LPの特色を生かした演奏時間の制約のない、くつろいだ雰囲気による自由なジャム・セッションによるプレイを行わせたのである。

また彼は、ほぼ同時にコロムビア・レコードでジョージ・アヴァキアンがプロデュースしたバック・クレイトンを中心とした一連の中間派ジャム・セッションのシリーズにも協力し、ここに中間派ジャズの第二期黄金時代の到来をみたのであった。  (1991)

「Vanguard Mainstream Jazz Collection」(KICJ-189)より転載(一部加筆)させていただきました。