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五十嵐明要オフィシャル・ウェブサイト

プロフィールPROFILE

五十嵐明要 (いがらし あきとし)

1932年 東京都中央区八丁堀生まれ。日本ジャズ界偉才のアルト・サックス・プレイヤー。「シャープス&フラッツ」 「ブルーコーツ」 「小原重徳とジョイフル・オーケストラ」と、一貫してビッグ・バンドのコンサートマスターを務めた。その一方で、実兄の五十嵐武要(たけとし)(ドラムス)と共に、自己のバンド 「ザ・聞楽亭(ぶんらくてい)」を結成。現在も多岐にわたり活躍中である。

その人間味溢れる感性と、豊かな表現力に支えられた円熟のプレーに対して、数多いジャズ・サックス奏者の中で “ONE AND ONLY” と称されている。また、レパートリーも幅広く、スウィング・ジャズ、モダン・ジャズはもとより、カクテル・ミュージック、ダンス・ミュージックにまで及んでいる。

1989年には、世界で最も権威あるジャズ・フェスティバル「アメリカ・モントレー・ジャズ・フェスティバル」から正式に招かれ、わが国ジャズ界の代表として出演し喝采を博した。1992年には、「ロサンジェルス国際ジャズ・フェスティバル」に北村英治(クラリネット)と共に招かれて出演。1994年には、歴史的な「JAPAN JUST JAZZ ALL STARS」 の一員としてニューヨークのアポロ・シアター及びカーネギー・ホールに出演。2001年5月、オランダの「ブレダ国際ジャズ・フェスティバル」に招聘され、絶賛を受けた。

2018年、日本を代表するジャズ奏者として文部科学大臣から表彰される。

音楽生活70周年を迎える五十嵐明要の活躍に対し、今、国内外を問わず大きな期待と注目が寄せられている。

自己のリーダー・アルバムは多岐に及ぶが、最近の自己CDアルバムは、 「SAX TALK」 「SWING TIME」 「HERE AT LAST」「WE3+THREE Salute to Sir Duke」 「ALL OF ME」 「SATIN DOLL」 などがリリースされている。


メディア用写真

五十嵐明要プロフィール写真

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主な年表

1932年
6月2日 東京中央区八丁堀で、5人兄弟の末っ子として生まれる
1944年
埼玉県大宮市日進に学童集団疎開
1945年
中学受験のため帰京。東京大空襲被災
1948年
高1の夏休み、丸の内ホテルのバンドボーイとしてジャズ界へ
1949年
歌舞伎座隣のクラブ・エデンのディキシー編成のバンドでプロ入り 植木等(g)など
1951年
渋谷・道玄坂のフォリナーズクラブの松下彰孝(d)の「メトロ・トーンズ」へ
1952年
沢田駿吾(g)の「ダブル・ビーツ 5」へ
徳山陽(p) 五十嵐武要(d) 鈴木実(b)ほか
1956年
高見健三の「ミッドナイト・サンズ」へ
1957年
西条孝之介(ts)の「ウェスト・ライナーズ」へ
原田忠幸(bs) 前田憲男(p) 金井英人(b)ほか
1960年
原信夫(ts)の「シャープス&フラッツ」へ
1967年
小原重徳の「ブルーコーツ」へ
1978年
小原重徳の「ニューオータニ・ジョイフル・オーケストラ」へ
1978年
自己のバンド「ザ・聞楽亭」を結成 実兄の五十嵐武要(d)と
1986年
初リーダーアルバム 「SAX TALK」 を録音
1989年
アメリカ モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演
1992年
ロサンジェルス 国際ジャズ・フェスティバルに出演
1994年
ニューヨーク アポロ・シアター、カーネギー・ホールに出演
2001年
オランダ ブレダ国際ジャズ・フェスティバルに出演
2004年
原田イサム(d)と双頭の「横浜ロイヤルパーク・オーケストラ」を結成
2012年
杉原淳(ts)、原田忠幸(bs)と「KKB」を結成
傘寿を祝う会を開催
2018年
日本を代表するジャズ奏者として文部科学大臣から表彰される
2020年
日本ジャズ音楽協会名誉会長賞を受賞
2022年
卒寿を迎える