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五十嵐明要オフィシャル・ウェブサイト

インタビューINTERVIEW

男の隠れ家 2011年6月号

昭和20年代から名を挙げ、一貫してビッグバンドのコンサート・マスターとしてアンサンブルの支柱となってきた。どんな曲でもメロディーを吹かせたら、とりわけデューク・エリントンを吹かせたら右に出る者がいないと称えられる五十嵐明要さんは、その力強さと抒情性を兼ね備えた演奏に、「ワン・アンド・オンリー」の称号が与えられている。

「演奏を聴き続けてくれたお客さんは、若い時の音ははじけていたねって言ってくれます。昔から音色はいいと褒められてきました。今さら演奏の仕方を変えて、どうこうという年じゃないし、枯れた音になっていいよと言われるのも嬉しくなった。今は自分が楽しめればいいかなと。それでお客さんが喜んでくれれば最高ですね」

隠れ家ジャズ界の後輩までもが鬼籍に入る昨今、第一線でバリバリ吹く五十嵐さんは、まさに戦後のジャズ界の生き証人である。周りを見回しても同世代では尾田悟、北村英治、杉原淳、原田忠幸、西条孝之助などの各氏が今も活躍している。「世界のナベサダ」こと渡辺貞夫が五十嵐さんの音色に憧れて、宇都宮から上京したというのは有名なエピソードだ。

「勉強はいつまでも やらなきゃいけないけど、今はレベルが落ちないようにやっているようなもの。長年やっていると、20分程度練習すればこれで大丈夫かなと分かります( 笑 )。 たまには疲れてダメだと思うこともあったり、演奏を始めてからまずいと思うこともあるけれど、ジャズに対する前向きな気持ちがあればいいの。その気持ちを忘れちゃダメですね」

一般にアルトサックス奏者は、ソプラノやテナーを吹くなどマルチ奏者でないと仕事の幅が狭められる。そんな中で、アルト一本を武器とした稀有の存在は、スイングやモダンというジャンルを超えた独自のスタイルを築いてきた。

「上手くなる早道は、尊敬するプレイヤーの演奏をコピーすること。私が影評を受けたプレイヤーは何十人も いる。そればっかり吹くから、コピーした曲を吹くと今でもその人の癖みたいなものも真似ちゃう。そうやりながら、自分なりの奏法を編み出していくんです」

創造への道をそう語るが、そこへ至るには他人には伺い知れない激しい道程だったろう。「仲間に言わせたら、私が勉強しているなんて誰も思っていない」と軽口を飛ばすが、人知れず努力の末に独自性を築き上げた結果「日本一豊かで美しいアルトサックスの音色」と称賛されるようになった。

「若い時、ビッグバンドに加入するまでは小編成のコンボにいたんです。コンボの主体はアドリブで、アドリブの達者なプレイヤーが中心。 でも、オーケストラはアンサンブルが重要だから、基本的な吹き方は決まっている。譜面に忠実に吹かず自由に吹くと、周りが付いて来られなくなっちゃう」

ビッグバンドのサックスは、終始メロディーラインを担当する。他の管楽器は合いの手を入れることが多い。そんな華麗なサックス奏者が、ジャズの真髄、アドリブを規制されるのでは、欲求不満ば高じないのだろうか。

「コンボにはない醍醐味があるんです。リードアルトとなってサックスセクションを引っ張っていくと、やがて音色が一体になってうなるんです。その醍醐味はやってみないと分からない( 笑 )。 サックスはクラシックで言えばヴァイオリンみたいなもの。オーケストラの主体になる花形なんです」

五十嵐さんは今まで、アルトを6本交換してきた。つまり平均10年に一回取り換えてきたわけだ。五十嵐さんによれば、アメリカのジャズ・フェスティバルに招かれた時の現地のプレイヤーの話では、20年も30年も一本のサックスを使う人もいるそうだ。

「キッカケは単純。知人から古くてキラキラ光っていないよと言われて、見栄えのいい新品を買ったこともあったけど、新しいのと音色は別もんだよ(笑)」

そんな五十嵐さんは東京・八丁堀生まれのちゃきちゃきの下町っ子だ。しかも生家は講釈場。界隈には他にも講釈場や寄席が何ヵ所もあり、それらは雨で仕事にあぶれた職人たちが、昼間憩う娯楽場だった。そんな光景を見て育った五十嵐さんの芸事への関心は人一倍強く、生来のジャズのライブ感覚を育んだような気がする。

「講釈場は今で言えばライブハウスだったわけです。小さい頃から講談や落語が好きだったから、 給食の時間になると先生に言われて、見よう見まねで噺をしていた。 それと父は映画好きでよく浅草に通ってた。だからか家にはたくさんSPがあって、兄とジャズっぽい軽音楽をよく聴いていました」

近所には当時盛んだったカフェが何軒もあり、店内では男女が嬌声を発したりダンスに典じていた。ガラス一枚隔てて伝わってくる享楽的な雰囲気が五十嵐少年の心をいたく刺激した。 総じてませた下町っ子は、早く大人になってカフェに出入りしたいと思っていた。

「小さい頃から音楽が好きでした。家の近くに楽器屋があって、そこにあるアコーディオンやトランペットが欲しくてね。でも、値段が高くて無理だった。やっと買ってもらえたのがハーモニカ。近所に何人も吹く子がいたけど、私が一番上手かったかな(笑)」

少年はやがて終戦を迎え、10代後半に初めてアルトサックスを手にする。むろんその頃のものはもう無いが、部屋には愛用のアルトが、いつでも練習できるように置かれている。独居の身となり、昨年壁を取っ払ってワンルームにリフォームし、生活と練習のしやすい、広いスペースが誕生した。

「ここには38年ほど住んでいて、その前は世田谷に10年間暮らしていた。一戸建てだったから、隣近所に遠慮しないで思い切り錬習できた。でも、ここは集合住宅だから大きな音は出せない。アルトの朝顔管に手ぬぐいを入れて音を控えめにしたり、低く吹いたり」

東京の住宅事梢を考えると音楽家の苦労がしのばれる。何十人ものたくさんの作品をコピーし練習していたわけだから、レコードの存在も気になるが、世田谷時代にコレクションした約6 0 0 枚のLPは、貸倉庫に保管中に盗まれた。現在手元にあるのは特に気に入るCDばかり。なかでもデューク・エリントンは手放せないという。

「好きなのは美しくてロマンチックなもの。いい音をいつも探っています。 そしていい音を出そうと努力している。その曲の中に完全に没頭しているというか、その中に入り込むように心掛けている」

今なお現役としてライブを行い、円熟した音色でファンを喜ばせる五十嵐さん。下町っ子らしく温かくて気風よく、ダジャレや地口をひょいと叩くいかにもジャズマンらしい洒脱な話しぶりに耳を傾けていると、心底ジャズを愛する彼の気持ちが深く響いてきた。

(2011)