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ルイ・アームストロングの「サムデイ」LOUIS ARMSTRONG "SOMEDAY"

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ルイ・アームストロングの「サムデイ」物語

前ページの The Syncopated Times の記事をもとに、1%のフィクションを加えて作成しました。

若き日のルイは出生地ニューオーリンズからミシシッピ河をさかのぼり大都市・シカゴに移りました。そして現地では超有名だったジョー・キング・オリバーのバンドに参加させてもらいました。

オリバーのバンドには、高等教育を受けたピアニストで作編曲を担当している才女リル・ハーディンがいました。彼女は粗野で音楽的に無知なルイに譜面の読みをはじめ、ジャズの基本を教え込みました。 そのおかげでキング・オリバーのクレオール・ジャズ・バンドでセカンド・コルネットのパートを任され、次のような演奏に加わって録音を残しました。 (1923)

Camp Meeting Blues  Chimes Blues  Dippermouth Blues  London Cafe Blues  Mabel's Dream  Froggie Moore  Snake Rag  Workingmans Blues  Snag It  Sobbin' Blues

残念ながらmp3の音源が消されてしまったようですから、以下、YouTubeで掲載します。

リル・ハーディンはルイからの執拗な求愛を受けて、ルイの二番目の嫁さんとなりました。

リル・ハーディン・アームストロングは、ルイを中心とした「ホット・ファイブ」と題したバンドでオーケー・レコードに録音しました。これは大きな注目を得ることになりました。 とりわけ「ヒービージービーズ」は初のスキャット唱法の録音として注目を浴びました。

Big Butter and Egg Man Come Back Sweet Papa Cornet Chop Suey Heebie Jeebies Irish Black Bottom Muskrat Ramble Oriental Strut The King Of The Zulus Yes! I'm In The Burel

しかし、ルイの唯我独尊的な奏法に、同僚の奏者からの評判があまりよろしくなかったので、リル・ハーディンはホット・ファイブの編成からルイを抜いた「ブート・ブラックス」「ニューオリンズ・ワンダラーズ」 というバンドを編成して録音しました。コルネットには同世代に活躍しているジョージ・ミッチェル(愛称:リトル・ミッチ)を起用しましたが、キング・オリバーの優れた奏法を受け継いだジョージ・メッチェルの演奏もあいまって、これがまためっちゃ高い評判となりました。

Deadman Blues Side Walk Blues The Chant The Pearls Wild Man Blues Doctor Jazz Too Tight Papa Dip Gate Mouth I Can't Say  Mad Dog

とりわけPerdido Street Bluesは後世に残る名演奏でした。

すると、ルイからリルに対して怒号が飛びました。
「なんでオレをはずして録音したんや?」と。
リルは「あんたはオーケー・レコードとガチガチの契約やってますやん」と答えました。
ルイは「印税はおれに渡さんかい」と言いざまリルを張り倒しました。いまでいうDVです。
そして関連の曲の著作権を自分の名義にしてしまいました。 えげつないですね。

その後、このジョージ・ミッチェルはかの有名はジェリー・ロール・モートンのレッド・ホット・ペッパーズに参加してスタジオ録音しました。それが、現在でもジャズ史上燦然と輝く名演奏とされているものです。リルの才覚の優れたところです。

Black Bottom Stomp The Chant Deadman Blues Sidewalk Blues Steamboat Stomp Smoke-House Blues Grandpa’s Spells The Pearls Doctor Jazz Original Jelly-Roll Blues Cannon Ball Blues

一方のルイ・アームストロングは「ホットセブン」という編成でルイをクローズアップした演奏を録音しました。そのなかで、ピアノのアール・ハインズのサポートを得た Basin Street Blues や West End Blues はルイの生涯の最高の演奏だと称賛されこととなりました。この当時からルイは「Satchimo The Great」と尊称されるようになりました。

Potato Head Blues Melancholy Blues The Last Time Weary Blues Basin Street Blues West End Blues

しかし、それ以降、ルイはこの最高の演奏を最後にこれ越える演奏はできなくなり、もっぱらボーカルを主体とする演奏しかできなくなりました。トランペットも吹ける歌手「芸人」になっちゃったわけで、愛称も「POPS」となってしまいました。

ハロー・ドリー、ブラック・アンド・ブルー、この素晴らしき世界、ラビアンローズ、キス・オブ・ファイア、明るいおもて通りで などなど

ルイは、嫁さんのリル・アームストロングと離別し、4番目の妻を娶りましたが、そのリルが別れ際に言った「きっと後悔することになるわよ」との言葉が現実のものになってしまったのです。
ルイはこの姉さん女房からもらった言葉をもとに、自分の歌をつくり自虐的愛唱歌としました。
題して「SOMEDAY」。

♪ Someday you'll be sorry
The way you treated me was wrong
I was the one who taught you all you know
Your friends have told you to make sing another song

So good luck may be with you
And for the future have no fears
There won't be another to treat you like a brother
Someday you'll be sorry, dear ♪

♪ いつかあんたは後悔するでしょう
あんたがわたしにしたことって酷かったわね
わたしだけがあんたにあらゆることを教えてあげたんだよね
あんたの友達も言ってたでしょう
わたしに対する態度を改めるようにってね

あんたに幸運があるように祈ってるわよ
あんたの未来が明るいものになるようにね
あんたを弟のように面倒をみてくれる人はどこにもいないんだよ
いつかあんたは後悔するでしょう ♪




この曲はいまやスイング・ジャズのスタンダード曲としておなじみですが、リル・ハーディンの想いも心しながら聴くことにしましょうね。




Louis Armstrong : 1901/8/4 - 1971/7/6 (69歳)
Lil Hardin Armstrong : 1898/2/3 - 1971/8/27 (73歳)
George Mitchell : 1899/3/8 - 1972/5/22 (73歳)

(2023)





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