メインストリーム・ジャズ、中間派ジャズの源流となるリズムは、1930〜40年代のカウント・ベイシー楽団のリズム・セクション「オール・アメリカン・リズム・セクション」(AARS)にあるといわれています。AARSとは、カウント・ベイシー(p)、フレディ・グリーン(g)、ウォルター・ペイジ(b)、ジョー・ジョーンズ(d)で構成されているリズム・セクションをいいます。では、そのAARSはどのようなものだったのでしょうか。
1930〜40年代当時の録音技術では、このAARSのサウンドを充分に聞き分けることはなかなか困難です。また、ビッグ・バンドではなく小編成での録音は数少なく、Decca〜RCA時代のAARSの演奏を網羅したアルバム「The Kid From Red Bank」くらいしか入手困難のようです。なお、ピアノがカウント・ベイシーではなくテディ・ウィルソンのものは数々ありますので、そちらも参考になるものと思います。
The Complete 1938-1947 Recordings/
1. I Ain't Got Nobody 2. How Long, HowLong Blues 3. The Dirty Dozen 4. Hey! Lawdy Mama 5. The Fives 6. BoogieWoogie 7. Oh! Red 8. Fare Gee Honey, Fare Thee Well 9. Dupree Blues 10.When The Sun Goes Down 11. Your Red Wagon 12. How Long Blues 13. FarewellBlues 14. Cafe Society Blues 15. Way Back Blues 16. Shine On, Harvest Moon
17. Fare Thee Honey, Fare Thee Well 18. When The Sun Goes Down
40年代に入り暫くしてAARSは解散してしまいましたので、その演奏の素晴らしさは限られた音源で、伝説として想像するしかなくなりました。そのようなときに実現したのが、ジョン・ハモンドのヴァンガード・シリーズのアルバム「ジョー・ジョーンズ・スペシャル」だったのです。1955年8月11日、カウント・ベイシーがゲスト出演して往年のAARSが十数年ぶりにハイフィデリティとなって実現しました。ただ1曲「シュー・シャイン・ボーイ」 Shoe Shine Boy だけでしたが、これを聴いたファンの驚きと感動は、油井正一氏が書いておられるとおりです。
AARSのリズムとは、どのようなものだったのでしょうか。ごく単純化して表現すれば、次のようになります。
ベースは、重低音を用いて着実にフォー・ビート(ウォーキング・ベース)を弾き続け、「全体のリズムと和音進行の基調」をつくります。各拍は均等でかつレガートです。装飾音は一切使いません。ピックアップは用いず、ナマ音が基本です。どうしても必要なときは専用のマイクロフォンを使います。
ギターは、リズムをリードするのではなく、ベースと一体となって「和音の進行とリズムに彩りを添える」ことに専念します。当然フル・アコースティックで電気的ピックアップやアップ・ストロークは一切使いません。
ドラムスは、主としてブラシュ、ハイハットとライド・シンバルを用い、特徴的なアクセント付けによって「スウィング感とドライブ感」をつくりだします。必要なとき以外はオカズは入れません。
ピアノは、単純化し不必要な和音は弾きません。そうすることによって全体のリズムが軽くなり、スウィング感が強まります。そしてその結果あのAARSの「リズムの芸術」がつくられるのです。
残念ながら、1955年を最後にAARSのハイフィデリティ録音はされることはありませんでした。しかし、カウント・ベイシー以外のピアニストでの録音が数々残されていますので、これでAARSと同様の演奏を楽しむことが出来ます。ここでその代表例として2〜3のアルバムをご紹介しておきましょう。
まず、ヴァンガード・シリーズの中の「サー・チャールズ・トンプソン・カルテット」です。1954年1月22日、サー・チャールズ・トンプソンがジョン・ハモンドの求めに応じて敬愛するカウント・ベイシー風の演奏を試みています。中間派の名演奏のひとつに数えられています。
1958年9月5日録音の「ベイシー・リユニオン」。ここではカウント・ベイシーの影武者と呼ばれているナット・ピアースのピアノです。おなじみのバック・クレイトン(tp)に、バイス・プレジデントのニックネームをもつポール・クィニシェット(ts)と、往年のベイシー楽団の雄シャド・コリンズ(tp)、ジャック・ワシントン(bs)が参加して、楽しいブルースの演奏を展開しています。
1952年に新らたに編成されたカウント・ベイシー楽団は、ベースにエディ・ジョーンズ、ドラムスにソニー・ペイン、それに盟友フレディ・グリーンを起用しました。ドライブ感豊かな演奏にアトミック・バンドと呼ばれるようになりましたが、このリズム・セクションでの1962年3月21-22日の録音が「カンサス・シティ・セヴン」。彼らはAARSの伝統を守りながらも新しい息吹のリズムを奏でています。この新しいリズム・セクションは「New AARS」と呼ばれるようになりました。アルバム「カンサス・シティ・セヴン」はメインストリーム・ジャズの傑作の1枚だということができるでしょう。
このオール・アメリカン・リズム・セクションの独特のスウィング・リズムを模倣したり再現しようとする試みが、1930年代から現在に至るまで数多くなされてきました。たとえば、ベニー・グッドマンもこのリズムを目指したのですが、とうとうその夢は実現できなかった、という伝説も残っています。残念なことに、現在のジャズ界でこれを再現できるリズム・セクションは皆無だといわれています。これは、各パートの役割を理解・熟知した4人のリズム・セクションを組むことが極めて困難なことです。とりわけリズムに多彩ないろどりを添えるフレディ・グリーンの存在がいかに大きかったか、ということでもあるでしょう。
ウィントン・マルサリスがオール・アメリカン・リズムセクションの成り立ちとカウント・ベイシー・スタイルについて実演・講義している楽しい貴重な映像です。主要部分を編集しました。
Jo Jones(d) Freddie Green(g) Walter Page(b) Count Basie(p)
Lester Young(ts) Buck Clayton(tp) Benny Goodman(cl) Charlie Christian(eg)