If I Had You / Mood Indigo / Honeysuckle Rose / There Will Never Be / I Cant Get Started / Bennys Bugle / Steve Jordan Speech / It Had To Be You / Swonderful / Exactly Like You / Alexanders Ragtime / Star Dust /Speech / Someone To Watch / You Took Advantage / Just Friends / Jada /
私のようなギター奏者は、今日のジャズ界では珍しい存在です。事実、この状況は何年も前から珍しいことでした。私はリズムギターを弾いていますが、電子的音響ではなくギターからの生のサウンドが聴こえるものなのです。
ジャズ評論家や歴史家による多くの著作物には、偉大なリズム・ギター奏者についてはほとんど書かれておりません。よってその結果として今のジャズではリズムギターの本来あるべき音そのものを耳にすることはめったにありません。
本書の同僚であるトム・スキャンランとのインタビューで、1965年のダウンビート誌のエッセイでも語ったように、「ギターをマイクに向かって真っすぐに弾くとギターの音が聴こえます。一方、ギターの増幅用ピックアップからは絃の振動のみを拾い、ギターから発せられる音は異なるものなのです。良いリズムセクションと芳しくないリズムセクションの違いはギターにあります。私はベースはピアノの左手で、ギターは右手だと考えるようにしております。
フレディ・グリーンの話をしましょう。私が20歳でアラン・リュースに師事する以前に、フレディ・グリーンはカウント・ベイシーと最初に仕事をしたときから奏法を改良したと語っていました。フレディ・グリーンが3〜4本の絃しか弾かなかったことを知って驚く人もいるかも知れませんが、フレディ・グリーンは私と同様にアラン・リュースの奏法に従い、第一絃(E絃)の使用は避けていたのです。フレディ・グリーンほど深い音を演奏した人は他にはいませんでした。
フレディはストロンバーグのギターを永年使用していました。チャールズ・ストロンバーグの息子のエルマーが1955年に亡くなってからフレディのストロンバーグが修理不能になってしまいました。そこでグレッチ社がフレディのためにストロンバーグと同じ仕様のギターを製作し提供しました。
私はストロンバーグと同じような「ギブソン・スーパー400」をもっていますが「ギブソンL-5」の方が好みです。「L-5」はシャープなカッティング・パワーがあり、必要に応じてスネア・ドラムのようなサウンドを得ることができます。史上最高のリズム・ギターだと思います。1924年にギブソンが発表したL-5は、クラシック・スタイルのサウンド・ホールを備えた最初のチェロ・ボディ・ギターだったと思います。
アラン・リュースの演奏はもう何年も聴けておりません。20年ほど前に「I Spy」や「Mickey Mouse Club」などのテレビ番組のバックグラウンド・ミュージックを演奏していたとき、彼はfホールのギターではなくフラット・トップのギターを使用していました。私はリュースが再び良いバンドでリズムを弾くところを聞きたいと思いますが、彼は何年も柔らかい単純なギターを弾いてきたので以前のようにリズムを演奏できるかどうかわかりません。しかし、私が若かった頃アラン・リュースはこの業界で最高でした。リズム・ギターの席に座った私たち全員が最善を尽くしましたが、誰もアラン・リュースに匹敵することはできませんでした。彼は今までで最高のリズム・ギタリストだと思います。
1977年のジョン・ハモンドの自伝「ジョン・ハモンド・オン・レコード」でアラン・リュースについての彼のコメントを読んで驚きました。「ベニー・グッドマンが好んだギターは、ジョージ・ヴァン・エプスとアラン・リュースのような硬くチャギングするリズムギターであって、1953年にバンド再編時にはベニーはアラン・リュースの参加を望んでいたが、幸いにしてスティーブ・ジョーダンを手に入れることができた」と。アラン・リュースはロサンジェルスのスタジオと契約していたので参加できなかったのです。もし彼がいたなら私がグッドマンと演奏することはなかったでしょう。
ベニー・グッドマン楽団でアラン・リュースを後継し、ハリージェームスが独立してバンドを結成したとき追随したのがベニー・セラーでしたが彼も素晴らしいプレーヤーでした。彼は現在グレッチの楽器を販売しワシントンに居住しております。
マイク・ブライアンはジョージ・オールドの親友でしたが、チャーリー・クリスチャンがグッドマン・セクステットでアンプ付の単絃ギター・ソロでジャズ界を震撼させていた1940年代初頭にベニーのバンドのリズムマンでした。マイクはベニー好みのタイトなスナップで演奏ができ、ストレート4でアクセントはありませんでした。私は長期間ストレート4を弾いていましたが、フレディー・グリーンの演奏を聴くようになってそのように弾くようにもなりました。
ピッツ・バーグのトミー・モーガネリ、のちのトミー・モーガンは1940年代半ばに戦争から戻った後ニューヨークで短期間プレーした後ピッツ・バーグに戻り警察官となり金曜土曜の夜間だけ仕事をしていました。トミーは誰とでも仕事ができる優れた多才なプレーヤーでしたので驚かされました。
バリー・ガルブレイスとターク・ヴァン・レイクはトップ・リズムマンとして見逃せません。バリーは派手なソロ活動で今もビジネスで多忙です。しかし、私が最後に聞いたタークは少し音楽から離れてスタテン島に居住しています。
サム・ハーマンは現在、彼自身の音楽コピー事業を行っており、ベニー・グッドマンやトミー・ドーシーと協力してフレディ・グリーンの音を複製することでターク・ヴァン・レイクと栄誉を共有しております。
バッキー・ピザレリは健在で、ベニー・グッドマンとソーター・フィネガンのために素晴らしい演奏しているソリストです。
マンデル・ロウも優れたソリストで、多くのトッププレイヤーと仕事をしており、グッドマンやマーヴ・グリフィン・バンドなどで一緒でした。
ハーブ・エリスはオスカー・ピーターソンとの素晴らしいリズム・ワークは決して忘れてはなりません。エキサイティングでキリスト教にインスパイアされたソロ作品で広く知られています。
フレディ・ガイはエリントン楽団のバンジョー奏者でしたが、1930年代にギターに転向し彼のサウンドが常時聞こえるとは限りなかったけど偉大なエリントン・オーケストラの中で彼のサウンドは重要でした。1947年にフレディがエリントンを去ってもエリントンは別のギタリストを雇うこともなかったことも覚えておくべきでしょう。
マーティ・グロスは増幅されていないギター・サウンドを今日も生かし続けていることで数少ないジャズ・ミュージシャンのひとりです。
第二次世界大戦後、ビッグ・バンドが減少するとリズムギターの仕事も減少しました。リズム奏者の何人かはメロディを読むことを学び、エレキギターに切り替えてチャーリー・クリスチャンとそのフォロワーを模倣しました。他の人はスタジオの仕事に行きました。音楽ビジネスをやめた人もいます。私のように、なんとかそこにぶら下がった人もいました。
ビッグバンド・ビジネスが衰退し始めたとき、バンドリーダーが最初にはずしたのはギタリストでした。次は3番目か4番目のトロンボーン奏者、そして5番目のサックス奏者です。リズム・セクションにリズムギターが無いのは本当のリズムセクションではなく、多くのバンドリーダーはその事実をよく知っていましたが、限りあるお金を多くの目的に使わざるをえませんでした。
一部のバンドは、レコーディングではリズムギターを使用しましたがツアーでは使用しませんでした。ウディー・ハーマンはこれをしばらくやっていました。ハリー・ジェムスもそうでした。カウント・ベイシーはリズムギター(つまりフレディ・グリーン)を維持し続け、ベニー・グッドマンは再編成時にリズムギターを使っていました。しかし、ベイシーとグッドマンは例外中の例外だったのです。
リズムギターがビッグ・バンドに戻ることは無いと思います。今日のジャズシーンでは周りに十分なお金がないからです。また、リズムの良いプレーヤー、特に若いプレーヤーを見つけるのは困難なのです。若いギタリストはソロ作業に専念し、コードを正しく発する方法を知っている人はほとんどおらず、その方法を学ぶ必要もありませんから。
今日のジャズバンドでは、増幅されたギターでソロ作品を弾くために雇われているギタリストがリズムを演奏しようとしている様をよく見かけます。しかしこれがうまくいかないんですね。私の考えでは、大音量のバンドであっても、ベースもギターも増幅するべきではありません。そして、アンプ無しではベースやギターが常に聞こえるとは限らないという人には、大丈夫です。バンドが一定の音量まで下がると聞こえるのです。
対照的なサウンド、対照的な音量は、ビッグ・バンド・ジャズを魅力的にするものです。常に同じ音量のビッグ・バンドは退屈です。グッドマンは常に理解し、ベイシーは常にこれを理解していました。今日のビッグバンド・ジャズにはアンプ、アンプ、アンプが多すぎます。ベイシーのバンドが際立っていた理由の一つは、ベイシーがバンドは静かに演奏できなければならないことを知っていたからです。
リスムギター奏者は今では死にゆく猫種であり、音楽業界のほとんどの人はほとんど気にもしていませんが、市場では鼈甲のピックすら見当たりません。プラスチックのピックしかありません。適切なギブソンの絃すら見つけるのも困難です。数年前にギブソンの工場に電話して少量の注文をしたいと伝えました。「とてつもなく少量の注文で、もうすぐ生産を中止する」とのことでした。
私はギブソンの男性に2つのギブソンL-5とギブソン・スーパー400をもっていることを伝え、私が欲しかったギブソンのブロンズ絃はこれらのモデル用に特別に設計されたなのかどうかを尋ねました。彼は設計されたものですが、他の絃ではfホールギターではよく聞こえないといいました。私は言いました「3本のギブソン・ギターには生涯保証が付いています、私はまだ生きています、そしてあなたはそれらの楽器に絃を供給しなければならないでしょう」と。
それで彼は私に少量の注文を送ってくれました。非常に多くのD絃、多くのG絃、6つの絃のそれぞれに異なる量、すべてシングル。必要なギブソン絃です。
1976年にジャック・マヒュー・バンドで夏を過ごしたシラキュースにはギブソン絃を含むすべての絃の完全なラインを持っていると主張する楽器店がありました。しかし、ギブソン絃を取りに行ったところ何もありませんでした。彼らは軽量のモナ鋼と電気絃しか持っていませんでした。今はそうですよね。きっと。ブロンズ絃の需要は十分ではなくギブソンはもう製造していません。柔軟性の高いピックやマンドリン奏者が使用していたフラットワウンドのエレクトリック・ストリングスに至るまで、すべてが今日のエレクトリック・ギター用に設計されているのです。
また、新しいアコースティック f ホールギターは、木材の品質、職人技、音色において古いものとは比較にならないものです。数年前、ギブソンL−5またはスーパー400を入手するのに1年かかりましたが、新しいものはメイプル・バックではなく合板バックを使用していると聞きました。それはとてもがっかりです。また、新しいL-5の価格は1,000ドルをはるかに超えます。第二次大戦前に約300ドルで購入したL-5は650ドルで、現在生産されている1,800ドルのモデルよりもはるかに優れています。新しいスーパー400(1934年に発売された当時の価格は400ドル)は、おそらく2,000ドル前後でしょう。
私の古いモデルのギターは、今は注文すらできないと聞いいています。どうやら彼らはどんな価格であっても作ることはありません。ロングアイランドのジョン・ダキストは、ギブソンL-5やスーパー400に似た優れたリズムギターを作っていますが、数年前、彼には3年間のキャンセル待ちのリストがあり彼のギターはそれぞれ約2,000ドルかかるといわれました。私の知る限り米国にはそのようなギターを作っている人はおりません。
これはリズムギター業界の誰もが落胆するように聞こえますが、私はまだL-5を動作状態に保ち、十分な絃をもっていると思います。「実をいうと、思ったほどのことはありません」から。
Here Comes Mr. Jordan with Billy Goodall(b) 1972
The Benny Goodman Sextet 1954 Mel Powell(p) Benny Goodman(cl) Steve Jordan(g)
Charlie Shavers(tp) Israel Crosby(b) Morey Feld(d)
(2023)